2012年2月26日

タイで一文無しになったすばらしい思い出


大学三回生の時インド、ネパールに二ヶ月間ほどバックパッカーとして一人旅をした頃の写真を、今になって見返してなつかしてくてたまらなくなった。もう25年前になるが、この時の思い出は今でも強烈に残っている。あの旅行で出会った人たちとは残念ながら音信不通になってしまっている。あの頃Eメールやfacebookなどがあれば今でも連絡が取れたりするんだろうなと思うと、つくづく今は便利な世の中だと思う。

当時、藤原新也やオウム真理教にはまってた人と学生寮で知り合いになり、とにかくインドへ行くのだとそればかり考えてた時期があった(私はオウム真理教とは関係ありません)。超貧乏生活の中、やっとのバイト代を手にして行くことに決めたのが1987年の春、確か飛行機代に10万円、所持金は5万円くらいだった。香港-タイを経由しインド北部-ネパールを一人で二ヶ月かけて回る旅に出発した。


でもここからの話はインド、ネパールではなく、5日間しかいなかったバンコクでの話である。香港に2泊してからバンコクに入り、いよいよインドだと心を躍らせていたとき、何と初日に所持金を全額盗まれてしまった。当時の私は全く無防備で、怪しげな二人にやさしい声をかけられ、タクシーに乗せられたと思ったら、突然降ろされた。おかしいなと思ったらウェストバッグのトラベラーズチェックがなくなっていた。キャッシュは小銭しかなく、クレジットカードも持ってない私は途方にくれてしまった。

公園で寝ることも考えたが蚊がすごいらしい。とにかく歩いてたどりついたところがパッポンという有名な歓楽街(後で知った)、その中のホテル(後で知ったがラブホテル)を見つけロビーで途方に暮れていた時、若い男が声をかけてきた。つたない英語で事情を説明すると、そいつは警察官で、自宅に泊めてやると言うので、当然私はその話に飛びついた。

そいつの家で一緒に酒を飲んで色んな話をした。そいつはLAに留学したことのあるインテリだった。部屋で流れていた曲はシカゴ「Will You Still Love Me?」で「この歌詞の意味がわかるか?」とからかわれたが当時の私にはその英語は聞き取れなかった(日本に帰国後、この曲は何度も聴いた)。

機嫌良く二人で眠りについた時、そいつは突然背後から抱きついてきた。LAにいた警察官とくればもしかしたらと考えるべきだった。寝たふりをしながら必死で抵抗し、数分後そいつはあきらめたようだった。翌朝別れる時の気まずさは忘れられない。

そんなことよりこれからどうしよう。このままではインドに行くどころではなく、のたれ死にだ。だが、幸い盗まれたのはトラベラーズチェックなので再発行が可能なはず。一刻も早くシティバンクを見つけて手続きに行かねばならないがどうやって行けばいいのかもわからない。

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こりずに昨夜のラブホテルのロビーにたどり着いて思案していたら、ホテルの若い従業員が声をかけてくれた。私よりは少し年上の男で名前はPai Boon。またもつたない英語で事情を一生懸命話すと、「助けてやる」と言われ涙が出そうになった。

まずはシティバンクに連れて行ってもらった。トラベラーズチェックの再発行日はインドへ旅立つ前日でぎりぎりセーフ。ただそれまでの二日間は金が全くないのでPai Boonの世話になることになった。

すぐに彼がとても貧乏であることがわかった。私は調子にのって「コーラが飲みたい」と彼に言ったら、「水で我慢してくれ、俺はpoor boyなんだ」と笑ってた。

彼は一晩中仕事なので一人で彼の部屋へ。5畳くらいで家具が何もない部屋。隣からは大音量の音楽が丸聞こえ。とにかく寝ようとしたら一匹のゴキブリが登場した。私はゴキブリがとにかくダメなので真っ青になりながら何とか退治。ゴミ箱に入れようとすると何とゴミ箱にさらに生きてるゴキブリを二匹発見。青ざめながらゴミ箱ごと家の外に出した。

再発行を終えて私は無事インドに行けることになった。Pai Boonはとても喜んでくれた。聞くと彼の睡眠時間は3〜4時間くらい、仕事ばかりで休みもないという。なのに彼は時間を割いて、再発行につきあってくれて、食事をさせてくれて、家にも泊めてくれた。これほど人の好意をありがたく思ったことはない。いつかはこのお礼をすることを約束してPai Boonと別れ、インドに旅立った。

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それから10年が経った。私は輸入の仕事をしていて、たまたまタイに行く機会が多くなった。ふとPai Boonはどうしてるだろうと気になってしょうがなくなった。でもとても会えないだろうというあきらめもあった。

だが思い立って、バンコク出張の時に例のラブホテルを探し出して彼の居場所を聞いてみると、何と彼は近くの売店で働いているという。行ってみると売店の仕事をしている彼の奥さんを見つけることができた。電話で彼を呼ぶので少し待てと言う。私はどきどきしながら待った。

10分後現れたすっかりおじさんになった彼の顔はすぐにわかった。感動のあまり、私は当時あなたに助けてもらいどれだけ感謝しているかを熱心に話をした。すると彼は一言「お前、英語うまくなったな」。

彼は相変わらず仕事だらけの貧しい生活を送っているという。その彼が明日の朝日本に帰る私を、寝ずに車で空港まで送ってくれるという。空港での別れ際で私は、自分が持っているありったけの現金を彼に渡した。失礼だとは思ったがそのくらいしかできなかったから。

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インド、ネパール旅行もたくさん色んなことがあってすばらしい思い出に包まれているし、卒業旅行のエジプト、イスラエルもよかった。だけど、私はバンコクでのわずか数日間、Pai Boonに助けてもらったこと、10年後に彼に再会出来たことが、何と言っても一番の思い出なのだ。

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Pai Boonと再開した時、彼の家族と私(1998年)

2012年2月21日

日本人を勘違いさせた犯人たち

多くの日本人が好んでいたものの実態は、こういうことだった。

<司馬遼太郎>
昔の日本人は素晴らしいと感動しながら読みまくるビジネスオヤジが大増殖。
これじゃ中国や韓国が我らこそ素晴らしい民族と悦に入ってる図と全く同じ。
当時の世界の力学からちっぽけな日本がどういう影響を受けたかという視点で見れば、もっと違う風景になるはず。
そもそも司馬遼は歴史書ではなく小説だということを忘れちゃいけない。

<プロジェクトX>
日本企業は優秀である、特に現場は優秀、苦労することが大事、という神話を強化した国策番組。
もちろん彼らを尊敬はするが、日本にはこういう人たちがいたからこそ豊かになったという勘違いはやめたい。
当時の日本は世界情勢的に高度経済成長する要因がたっぷりそろっていたということの方がずっと大きい。

<太陽にほえろ>
日本の警察は清潔で優秀で人情たっぷりという神話をつくったプロパガンダドラマ。
世界中で悪名高き「代用監獄制度」が冤罪の温床になってる、実は警察は裏社会と密接につながっている、なんてこのドラマ見ても絶対にわからない。
世界中で警察は腐敗しているが、日本も大して変わらない。

<遠山の金さん、大岡越前>
「大岡裁き」など、本来の司法や人権や民主主義とほど遠い存在。
法律もルールも何にもない恣意的な判決がよしとされてきた。
あんなものを裁判だと思うから、みんなお上は正しいと思い込んでしまう。

<金八先生>
子供のことを真剣に考えれば先生は万能であるかのような幻想を抱かせた。そんなわけないだろ。

<HERO>
キムタクを使った「検察は正義、かっこいい」というプロパガンダ。
ドラマとしてはおもしろいが、検察の実態とあまりに違うことは明白。

<大前研一>
若い頃、大前研一の言うことを真に受けて、日本企業や上司をバカにしたり変に提言をしたりして、冷や飯をくらった経験のある人も少なくないはず。

<朝日新聞>
ずっとエリート新聞の代名詞だったが、そのブランドもようやく地に落ちた感がある。特に昔は、戦時中の戦況ねつ造や南京大虐殺や従軍慰安婦の大誤報や北朝鮮・文化大革命・チベット解放賛美など、よくもこれほどだましてくれたなって感じ。記者クラブのひどい実態も明らかになってきたし、田中角栄や小沢一郎もネットがなければ極悪政治家で終わってたんだろうな。